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研究のアウトリーチ活動とか文理の対立とか(日本学術会議に関する記事への補足)

数日前に書いた日本学術会議に関する記事への補足みたいなものです。

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研究や学術のアウトリーチ活動

私が上の記事で言及した「研究や学術活動の社会との関わり方」については,かなり漠然とした表現であったために,受け取る人によって想起するものやリンクして考えることが色々あったように見受けられます。

もちろん,サイエンスカフェといったいわゆる「アウトリーチ」を明確に目的にした活動も重要だと思うのですが,私が考えている「社会との関わり方」はもっと広いです。まあつまり漠然としているわけで,それに対して具体的な例などを挙げて反応してくれた方には感謝です。

私が重要だと思っているのは,これも特別なことではありませんし,研究・学術に限定した話でもないでしょうが,(ある問題について継続的に取り組んでいて,そのための技術やノウハウを持っている集団がいることを)知ってもらうことです。

これは,研究者や専門家からしたら「そんなの「○○学者」っていう名前見れば分かるだろう」ぐらいに思う人もいるかもしれませんが,私の体感で言うと思ったより知られてないと思います。たとえば,ちょっと前に書いた「「を」の音の話」は,日本語学のかなり基礎的な話なんですが,

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web上のこの話題に関する反応やコメントを見ているとほんと知られていませんね(ほかの人文系の話題に強そうな人でも)。言語学,日本語学はそれだけ「マイナー」なんだよと言われれば返す言葉がありませんが…

ここで個人的には,あまり「教養」とか「知っているかどうか」みたいな話にしたくないのです。私自身教養のない研究者だという負い目があるということもありますが,何より研究も日々進展・拡大しているので,何が教養なのかってのがそもそも難しそうで。「この分野を専門にする/していたならこれぐらい知っておいてほしい」みたいなものはあると思いますけどね。情報の探し方とか,文章の書き方とか論理・議論の組み立て方みたいな基礎的だと思われがちなものも実はけっこう分野依存的だったりしますし。

前に書いたことがあるのですけれど,研究や学術のアウトリーチ活動としてけっこう重要で貴重な機会でもあるのが,授業ではないかと思うのです。以下引用します。

僕は専門(言語学・日本語学)の授業では、講義でも演習でも「この分野に関係のある道に進まない人たちにも、この分野の理解者となってもらうにはどうすれば良いか」というポイントを忘れないようにしています。もちろん、研究者や高度な専門的知識・技術を持った人を育てる、というのも重要でしょうけれど、そういう道には進まなかった人たちが、日常会話やブログなんかで「そういえば大学でこんなこと習った」とか「言語学っていう分野があって」などと言ったり書いたりしてくれること、そういう人たちを少しでも増やすことも、重要な「専門家と素人のコミュニケーション」の一つなのではないかと思うからです。過激な書き方をすると、適当な授業をすることで、その分野にとって不要な敵を作ってしまうことが意外とあるのではないでしょうか。
人文(社会)系の必要性と「説得」の必要性 - 誰がログ

で,この考え方はたとえばSNSの発言にも適用できるのではないでしょうか。もちろんTwitterとかで常にいろんな人の目を気にしながら発言するというのは窮屈ではあるんですけれど,私は今の状況において,職業が研究者・大学教員でそれを明言して活動・発言している以上,思わぬ言動が自分の関わる分野へのネガティブキャンペーンになり得るということはある程度考えておかなければならないだろうと思っています(それが良いか悪いかは別にして)。私も昔は(?)けっこうひどい発言もしていたので「お前が言うかよ」と思われる方もいるでしょうが,そういう経験を通してこういう考えに至ったということでもあります。

ちょっと重いことを書きすぎたような気もしますが,アウトリーチ活動自体は,たとえば自分が専門の関係上たまたま知っている文献の情報なんかをTwitterに書くとかできることは色々あると思います。ただ「これ読んでみて」って言うメッセージ自体が「上から目線」のように言われることもあるようで,さすがにそれはつらいですね(言い方にもよるでしょうが)。

「人文」対「理工」みたいな対立

この問題が出てきたときから心配していたのですが,やはり「人文(社会)系は」「理(工)系は」みたいな対立の話が出てきているようです。

私は不毛な対立があまり好きではない質なので(平和主義というわけではなく,ケンカする技術やエネルギーはできるだけケンカすることが必要なことに費やしてほしい),折に触れそういう主旨のことを書いています。関連するものとして,「理系文系」についてはたとえば下記の記事など読んでみてもらえると嬉しいです。

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今回の学術会議絡みでも,たとえば業績評価の話題(Scopusのやつとか)では,理工系の人たちからも問題の指摘や批判がされていましたので,「理工系は人文系のことを知らない(で文句を付ける)」みたいな話で一般化しない方が良いと思うのです。そういう人が実際にいたというのは事実であったとしても。

「人文」や「理工」と括ったとしても,各分野によってさまざまですよね。時には「○○学」の中でも研究の方法論や対象によって研究手法とか業績の形が異なっているなんてこともあります。そういう事情を分野外の人向けに発信するのも,アウトリーチ活動の一環なのではないでしょうか。

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「人文」「理工」の対立とは違う話ですが,今回はふだん政府や自民党に親和的だったりほかの問題では「サヨク」「リベラル」*1と呼ばれる人たちに対して厳しめな人たちでも日本学術会議の問題に対する政府の対応や姿勢を批判したり説明は必要と言ったりしているのを見かけます(私の観測範囲では)。そういう人たちたその態度(だけ)をもって「サヨク」「リベラル」といった扱いを受けているのを見ると心配になりますね。そういうことが起きてしまうぐらい今回の件は明確に問題だということだと思うのですが。

*1:ふだんはできるだけこういう名称を使うのを避けているのですが今回はほかに書き方がありませんでした。