詳細は以下のエントリから色々辿ってみてください。
あと、この件に関してはすでにTAKESANさんがわかりやすいエントリをお書きなので、そちらもどうぞ。
気になったのは表現方法についてです。
僕にとっては、「内容がよくわからないけれども表現方法がダメじゃない?」という批判自体が最初よくわからなかったというか。まあそりゃ明らかに放送禁止用語誹謗中傷を散りばめたものはそれだけで批判されても仕方が無いかな、と思いますけれど。むしろ強い表現、つまりレトリックというのは「内容がわからない人」にこそ有用なんじゃないか、と思ったのですよね。だって、内容が吟味できる人は強い調子で書いてあってもオブラートを何重にしてあっても、”ある程度*1”内容を切り離して評価できますから。
この点については以前もちょっと考えたことがありまして↓
自分の知識だけで怪しいものに気づけなかったり(これは研究者や何かの専門家にだって頻繁に起こりえます)、詳しい解説があっても自分では評価できないような場合には特に、強い表現で批判がされていたり注意喚起がなされている、というのは「これは気を付けた方が良いかな?」と気づくための一つの有益な手がかりになるんじゃないでしょうか。
というような視点から見ると、「内容はわからないけれど表現が(強過ぎて)ダメ」というのは自分から手がかりや機会を放棄することにつながるように見えるんですよね。あるいは「気付きたくない」ということなのかもしれませんが。
余談ですが、書き手という視点から見ると「どういう表現方法が人を不快にさせるのか」というのが結構人それぞれなので、強い表現を使用するというのはそれだけリスキーなのですよね。へたれな僕としてはなかなかそういうことができなかったして、毅然とした態度を取れないことにむしろへこんだりすることさえあるんですけどねえ(それでも一部のエントリではそこそこキレてるつもりなんですが…)。
*1:もちろん限度はあります。