誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

凡人ですが研究やってます(やろうとしてます)

 注)ただの自分語りです。一応これ関連↓

(たぶん)本筋であるところとはあまり関係無いと思いますし、ネタにマ(ryかもしれないのでトラバは送らず。
 天才とか、センス/才能がある、って表現は多義/曖昧過ぎてあまり使わない方が良い、というかきちんとした議論の対象には向かないとは思うのですが*1、やっぱりそういういわゆる「すごい」人たちってのは研究の世界にはたくさんいて。僕はそういう人たちとはまあどういう基準で見てみても違う、ってのが(まだこういう世界に入って数年目の若造ですが)自己評価です。
 その理由の一つとして「すごい人がすごいということ自体が(時々)わからない」ってのがあるんですよね。もちろんわかる時もありますが*2、どうも「すごい人」たち同士ってのはお互いをそう認識できるっぽい。僕は「あの人すごいよね」って評価について行けないことが結構あります。
 で、だから僕はダメなんだとか、暗に「そんなことないよ」って励ましてもらいたい、とかそういうことじゃなくて*3。これが僕が科学的な研究方法にこだわる理由の一つだったりするんです。
 もちろん、現代言語学自体が科学的な研究手法を志向しているということもあります。ただ、科学的な研究の営みにはいわゆる「凡人」でも貢献できる余地が多く生まれると思うのですよね。だからこそ僕みたいなのでも「研究者」としてやっていこうっていう希望も持てるっていうか。実は僕がこのブログで(そしてリアルでも)「科学」にこだわるのは実は生成文法を選択している、ということとはそこまで強く関係していなかったり*4
 そういう点で、現代の言語学がほとんど数人の天才の存在によって成り立っているような世界ではなくてホントに良かったな、と思います*5
 相変わらずエクスキューズを挟みまくったら無用に長くなってしまった…まあもともと曖昧な用語や概念だけで曖昧に語ろうとしてますから無理が生じるのは当たり前なんでしょうけど。いつか書こうと思ってた話題なんですが、この話題はあまり掘り下げないのが吉かなあ。
※一応また言い訳を追加しておくと、「科学」的研究以外はそうではない、とまでは言ってないですし、言えないかな。分野によっても違ってくるでしょうし。少なくとも「科学」的研究ならそうかな、というお話です。
※増田に関しては、そもそも知識や経験が無いと「すごい」と思えない、って側面もあると思うので大学生にそれを求めるのは酷かなあ、とは思います。すごい才能を持っているのであれば、半可通で専門家に挑んでボコられてたった数度の試みで挫折して「専門家はみんな専門バカだ」と言って年に数冊も適当な専門用語(っぽいもの)をちりばめた新書を出したりテレビや雑誌で適当なコメントをしたりして素人をだまくらかすような一部の知識人や思想家や大学教授/研究者のようにはなってほしくないですね。これ以上増えてほしくないので。

*1:もっとちゃんと厳密に定義すれば別なのかもしれませんが。

*2:それも誤解だったりして。

*3:たまーに落ち込むこともありますが。

*4:「科学」を志向しているから生成文法を選択したという側面はありますが。もちろん選択の理由はそれだけではありませんよ。

*5:ちゃんと考えるなら程度問題になっていくと思いますが、実際、そんな風に成り立っている分野なんて(よっぽど領域を狭く区切ればともかく)実はそんなに無いんじゃないかと思ったりしています。言語学者でも「生成文法なんてチョムスキーだけじゃん」とかってホントに思いこんでる人ってどれぐらいいるのかしら。