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歯切れが悪いのは仕様です。

東日本大震災の時の「自粛(を要請)」を振り返って

さいきん,いわゆる新型コロナウイルス関連でいろいろ話題になっているからか,東日本大震災の少し後に書いた下記の記事へのアクセスが多いです。この傾向は少し前からあったのですが,今日は東日本大震災から9年ということで少し何か書いておこうかと思い立ちました。

dlit.hatenadiary.com

表現の攻め方

といっても,この「自粛を要請」の表現に関してそれほど新しく付け加えることはありません。ちょろっとコーパスでも見てみたのですが,2011年以前も「自粛を要請/お願い/指導/求める」といった表現の実例は見つかりますね。

何かについて議論をする際に,そこで用いられている表現・キーワードに焦点を当てることはもちろん必要なことも多いのですが,場合によっては論点がずれてしまうことにもつながります。似たような問題意識から下記のような記事も書きました。

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表現・キーワードに突っ込みたい場合は,「その表現は日本語として間違っている」という形ではなく,「その言い方は(○○という理由で)ひどい」というようなやり方をおすすめします。ある表現の正誤について議論するのはちゃんとやるとけっこう難しいことも多い…というか議論が混乱しやすい(させやすい)ので,元々自分の意見に賛成してくれるような人たち以外にも話を聞いてもらいたい場合にはあまり有用なやり方ではないのではというのがwebでのそういう「議論」を見てきた印象としてあります。

今回の「つらさ」

ちなみに,東日本大震災当時はポスドクで,茨城県つくば市で被災しました。家賃月額2万円台のアパートは倒壊こそしなかったものの,停電,断水,日常用品の不足,ガソリンスタンドへの数時間に及ぶ行列等いろいろなことを体験しました。

体験や「つらさ」を簡単に比較することはできないとは思うのですが,今回の新型コロナウイルスには,「被災者」でない人がはっきりしないという側面があるのではないかというのが心配です。

もちろん,東日本大震災も,直接の「被災者」以外の人々に多大な影響を与えましたが,たとえば活動とか何かの「自粛」については,直接の「被災者」以外の方々による「これまで通りの生活を」とか「むしろ積極的に何かイベントや活動や消費を」という動きがあったのを覚えています。少なくとも私は,そういうほかの地域や人々が普段通りでいてくれ(ようとす)ることに助けられました。海外からの「応援」もたくさんありましたよね。

新型コロナウイルスについても現状で被害が多く出ている地域・国とそうでない地域・国というのは分けられなくはないものの,感染症という現象の性質から言って「被害がない人が○○して応援」という流れはなかなかできにくいのではないでしょうか(もしかしたら全世界的にも)。

元々心配性ということもあるのですが,もしかしたら「自粛」に関しては東日本大震災の時より深刻なことになるかもというようなことを自分の記事を読み返して考えてしまいます。