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歯切れが悪いのは仕様です。

【宣伝】『日本語文法研究のフロンティア』という論集に動名詞の自他の形態論(+外来語)の話を書きました

 こんなエントリを書いている場合ではないだろうという声があちこちから聞こえてきそうですが、Amazonにも情報が出ていたので宣伝しておきます。

発売日は6月1日になっていますね。5月の学会の展示販売では買えるようですが。
 ちなみに、各論文のタイトルはくろしお出版のサイトから見ることができます。

目次
[形態論と統語論のフロンティア]
動名詞の構造と「する」「させる」の分布 田川拓海
現代日本語における未然形 佐々木冠
旧JLPT語彙表に基づく形態素解析単位の考察 森篤嗣
名詞並置型同格構造 森山卓郎
文の階層性と文中要素の解釈 長谷川信子

[意味論のフロンティア]
日本語に潜む程度表現 中俣尚己
母語話者と非母語話者の逸脱文の意味解釈 天野みどり
構文としての「切っても切れない」 佐藤琢三

[文章・文体・発話研究のフロンティア]
社会科学専門文献の接続詞の分野別文体特性 石黒圭
「話しことば的」な文章に見られる話しことばとは異なる表現 野田春美
4つの発話モード 定延利之

[対照研究、習得・日本語教育研究のフロンティア]
日本語と中国語の真偽疑問文と確認文の意味 井上優
教育現場とのつながりを意識した対照研究の試み カノックワン・ラオハブラナキット・片桐
第二言語習得研究と第二方言習得研究の統合に向けて 渋谷勝己
「産出のための文法」から見た「は」と「が」 庵功雄
非母語話者の日本語理解のための文法 野田尚史
http://www.9640.jp/xoops/modules/bmc/detail.php?book_id=129059&prev=new

 トップバッターですね…ちなみに僕だけ助教なんですが、「一番下っ端がフロンティアへの切り込み隊長」ってなんか死亡フラグ的な響きが…

ポイント

 さて、この論文は副題まで含めると

  • 動名詞の構造と「する」「させる」の分布─漢語と外来語の比較─

となっています。
 取り扱っている現象は、それ自体では自他同形である動名詞(サ変動詞)のタイプと、それにつく「する」「させる」の振る舞いがちょっと複雑であるというもので、先行研究も色々あります。
 いつも通り(?)統語的な分析を提示しているのですが、その対象を漢語系の動名詞(例:勉強する)だけでなく、外来語系の動名詞(例:チャレンジする)にも広げたところが、個人的にはこの論文の面白いところだと考えています。
 日本語の動名詞の研究って漢語系の語彙についてはかなりの蓄積があるのに、外来語系の語彙についてはあまり言及がないのがこれまで不思議だったのですよね。調べてみたら、思ったより研究が少なくて驚きました。
 あまり緻密な調査をしたわけではないのですが、そこそこの量の外来語動名詞のリストを補遺として付けてありますので(自他のざっくりとした分類付き)、ぜひこれから色んな方にいじりたおしていただきたいです。記述だけでもかなりやることあると思いますし、理論的に見ても色々おもしろいことが見つかるかもしれません(たとえばre-や-ingといった接辞が借用された時にどうなるのかとか)。

理論研究への思い

 ふだんはあまりこういうこと書かないんですが、せっかくの機会をいただきましたので、理論研究と日本語研究に対する個人的な思いについても最後に少し書いておきました。ちょっと長いですが下に引用しておきます。あくまでも僕の立場から見ると、という話であることにご注意下さい。内容が内容だけに弱気な表現が多いです…

 最後に,日本語研究における理論研究について少し触れておきたい。
 “いわゆる”理論研究と“いわゆる”記述研究の接点を探る試みは定期的に行われているが ,各研究分野が発展を続けている状況において個人が両方の研究をフォローし続けることは年々困難になってきているとさえ言えるだろう。筆者にはその両方に関わり続けることで自身の研究が進んだり,面白いテーマが見つかったりするという体験・実感があるので,できれば多くの研究者にお勧めしたいところであるが,上記のような事情もあり実際にはなかなか気軽には踏み切れないかもしれない。
 理論研究が主眼でない研究において理論研究に言及したりその枠組みを援用したりする場合に多いのは,その概念等を問題解決・分析に使うというやり方であるように思われるが,ここではそれに加えて,理論研究(の知見)を問題発見のために(も)使ってみることを提案したい。理論研究の問題設定,テーマにはもちろん各理論特有のものも多いが,その理論の外である程度広く共有できるものもまた多く存在する。
(具体的な分析に触れているところなので中略)
 また,本稿で取り上げた外来語のように,多くの研究の蓄積がある現代日本語(共通語)においてさえ現象面の解明や詳細な記述がまだまだ必要なことも多い。そのような新しい記述が記述研究だけでなく理論研究にインパクトをもたらすこともあるだろう。筆者は外来語がその候補の一つになりうるのではないかと期待している。
 筆者の個人的な信念として,「良い理論は良い記述を生み出し,良い記述は良い理論を生み出す」というものがある。残念ながら筆者個人でそれを実現することができたという実感はまだないが,そのような研究や交流には実際に遭遇してきた。特に複数の研究者が交流・関係を持つことによって実現される可能性は現在の状況においても高いのではないだろうか。本稿を読むのはおそらくどちらかというと記述研究になじみがある方が多いのではないかと想像しているが,これを読んで「理論研究者と(もう少し)話をしてみよう」「理論研究のイベントに(少しなら)参加してもいいかな」といったことを考えてくれる方がわずかでも増えてくれれば,日本語を対象とした理論言語学研究に携わっている者としてこれ以上の喜びはない。

おわりに

 僕のものはおいておいても豪華な内容になっていると思いますし、どこかで手に取っていただければ。僕もこれから他の方の論文を読むのが楽しみです。