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歯切れが悪いのは仕様です。

成人式とか自粛とか想像力とか

岩田健太郎氏の下記の記事を読んで,主旨には賛同するのですが読んで少し考えたことがありますので簡単に書いておきます。

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はてブのコメントにも書いたように,冒頭で自己紹介をしているのが専門家として良いと思います(バズると特にその記事の著者についてぜんぜん知らない人にも読まれる可能性が増えるので)。私も専門に関する記事では自己紹介を書くことがありますがなかなか徹底できず忘れてしまうこともあります。この記事については必要ないと良いと思いますがせっかくなので書いておくと私は言語学を専門にしている研究者・大学教員です。

「大人」の勝手なお願い

前提としてこういう話で成人式を迎えるような人たち以外を「大人」と呼ぶこと自体ある種の分断につながるような気もするのですが,成人式を迎えるような若者だって大人なのでここから先は「若者」と「若者ではない大人」で呼び分けることにします。これもあまり良い案ではないような気がして,表現の選択が難しいですね。

岩田氏の「お願い」は重要で「若者」に限らずできるだけ多くの人が受け止めて検討してくれると良いなと思いますが,これまでの状況を踏まえると成人式を迎える人たちを含めた「若者」に「(若者ではない)大人がなんか勝手なこと言ってる」と思われてもしかたがないのではないでしょうか。

これまでほかの記事とかでも書きましたが,昨年末は飲み屋周りにも駅にも酔っ払って群れてる「若者ではない大人」の人たち,けっこういましたからね。

もちろん,そういう行動や状況に対して批判したり文句を言っている人もいたのですが,今回は発信者が岩田氏ということもあってこの記事がバズると成人式に関する「お願い」のみが目立ってしまって「若者」としては不当に責められている感じがしてしまうのではないかという心配もあります。

難しいのは,慎重な「若者ではない大人」も数としてはたくさんいるけれども,COVID-19の件で「自粛」している人は外出とかを控えるので見えにくくなってしまうということなんですよね。これは逆も言えて,感染防止を考えてさまざまな「自粛」をしている若者もたくさんいて,でも若者ではない大人には見えなくなっているということもあるのではないでしょうか。

想像力

私は「想像力を持(っ)て」という表現を使った注意喚起とか警句とかアドバイスとかはなんか苦手なんですよね。たぶん自分自身が想像力を働かせられなくて後で「しまった」と思うことが多かった(今でも)からなんでしょうけれども,自分が書く文章でもできるだけ使わないようにしています。

以前,まったく別のトピックの記事で想像力についてこんなことを書きました。

確かに「想像力」は知識や経験が及ばないところを補うという側面もあるのでしょうけれど,想像力の届く範囲はやはり何かしらの知識や経験をベースにするというところもあると思う
「やさしい日本語」についてちょっとだけ - 誰がログ

岩田氏の記事は想像力をそんなに働かせなくても考える手がかりになる情報やアイディアを提供していますので,「想像力」にあまりフォーカスが行かないと良いなと思います。特に他人を「想像力がないのか」というような形で責めるためのきっかけや材料に使うことがあまり起きないと良いなと。

「自粛」

「自粛」という表現に関する下記の記事でも書いたのですが,すべての人が何らかの形で関わりになる可能性が常にあるというのがコロナ禍のつらいところなんじゃないか,という実感は時間の経過とともに強くなってきています。

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こういうつらい状況の中では,特定の集団に対して「こうしてほしい」という話が出たときに「あいつらはどうなんだ」という反応があるのはある程度しかたないところもあると思いますが,変に不必要な対立を煽る方向に「雰囲気」が流れないでほしいです。

私は大学教員として「若者」に「お願い」している立場ですので大学教員としてやることをやるというのは当然として,「若者ではない大人」としても自分にできることを続けます。

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