誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

主に書籍の紹介記事についてステマ規制法への対応を考えています

追記(2023/09/29)

検討した結果、アフィリエイトをやめました。すでに対応は完了しています。

dlit.hatenadiary.com

はじめに

下記の記事でいわゆるステマ規制法のことを思い出しました。

suan.tokyo

正直、今まであまり自分のブログのこととして考えていませんでしたが、このブログもAmazonへのリンクはすべてアフィリエイトですのでどうするか考えなければならなそうです。

検索したらアフィリエイトを使っているブログがどう対応するかという方法についての記事はたくさん出てきますので、そういう情報が知りたいという方にはこの記事はおそらく役に立ちません。あくまでここのようなブログについてどう考えるかという記事です。しかも結論はまだ出ていません。

対応1:一律でどこかにアフィリエイトに関する説明を入れる

ブログのヘッダーとか各記事の冒頭とかに一律で「このブログ/記事ではアフィリエイトを利用しています」のような説明を入れることで対応できるならそれでも良いかなというのが1つ目の案です。

「一律で」というのがポイントですね。下に書く記事タイトルの話と一緒で、これまでに書いた記事を個別に編集する手間がかかるならアフィリエイト自体やめても良いかなというのが今の気分です。

対応2:アフィリエイトをやめる

特に、各記事のタイトルに必ず「PR」「広告」等の表現を入れる必要があるのであれば、Amazonのアフィリエイト自体を完全に外してしまうのが良いのではと考えています。理由はいくつかあります。

まず、前提としてこのブログでアフィリエイトを使っているのはブログで専門的な書籍を紹介してどれくらい買ってもらえるものなのかというのを試したいというのがそもそもの動機として大きいです。収入についてもはてなブログProにかかる分が部分的にでも補えれば良いなというくらいに考えていて、何かのあてにしているわけではないので外しても特に困るというわけではありません。

私の書く記事のタイトルは特に専門に関するものでは正確さを重視するために長くなりがちなので、その冒頭に「PR」「広告」等の数文字でも入れるのはちょっと抵抗があります。また、これまでに書いた記事のタイトルを修正するのはとても面倒です。今までに書いた読書案内系の記事は下記にまとめてあるくらいですが、

dlit.hatenadiary.com

ちょっとしたことば関係の記事でも関係する書籍を紹介していてAmazonへのリンクを含むという記事はほかにもけっこうありますので、それらを修正するのは大変そうです。

なぜ「PR」「広告」等を付けることに抵抗があるのか

ここで書くことはあくまで自分の感情を探っているのであって、それが妥当かどうかとか、正当化の理由になるかどうかというのはまた別の話です。

実はタイトルの長さ以外にも「PR」「広告」等の表現への抵抗に理由がありそうな気がしています。まず、下記のような書籍以外の自分で買ったものを紹介する記事タイトルに「PR」「広告」等を付けるのはまったく抵抗がありません。

あ、もちろん自分が書いた文章が載っている書籍ならこれももちろん付けるのに抵抗ありません。(ほかの方が書いた)専門書の紹介で抵抗があるのは何なんでしょうね。これまでのブログでの「PR」表示の文化(何らかの依頼を受けての宣伝等の場合に付ける)に感覚が慣れ切っちゃってるだけかなあ。字面だけで考えると専門家として専門的な書籍を買ってほしいというのはまさに「PR」であり宣伝なんですよね。

これは関係しているかどうか分からないんですが、労力の面から言うと専門的な書籍の紹介はこれまで私が専門家・研究者としてやっていくために膨大に費やしてきたコスト(時間や労力)がベースになっているので、Amazonのアフィリエイトで得られる収入と比べると手間賃以下くらいにしか感じられません(金額の多寡は問題ではないのでしょうけれども)。それとは別に各記事を書く時にも紹介する書籍も含めて関係する論文や書籍を調べたり読んだりしますしね。

専門家が専門的な知識を無料でwebに公開する場合はダンピング(不当廉売)の問題について考えておいた方が良いのではということは以前から問題意識としてあります。私の場合はいわゆる国立大勤務の研究者・教員なので一種の社会貢献として理屈が立つかなとは考えているのですけれど、正直あまり自信はありません。実際、ほかの研究者の方から「あそこまで書くなら本にするとか雑誌とかへの寄稿にした方が良いんじゃない」と言われることもたまにあります。

おわりに

最後はけっこう脱線してしまったでしょうか。

もう10月1日まで日がないので急いで対応を決めなきゃいけませんね。

「短いブログ」としてのTwitterから「長いTwitter」としてのブログへ、そして

はじめに

以下、あまり専門的な裏付けや見通しはないブログの一書き手としての雑感です。

タイトルはちょっと何言いたいか分からない感じですね。どうもしっくりくるタイトルが思い浮かびませんでした。私の考えていることの概要はだいたい次の通りです。

  1. Twitterが即時的なリアクションやとにかく注目を浴びることが評価につながる傾向を加速させた
  2. ブログはTwitterの前からあるにもかかわらず、今はその評価方法に乗せられてしまっている:「長いTwitter」化
  3. ブログが長く書けることを強みの1つにするのなら、別の評価方法がほしい

なお、「Twitter」と「X」という名称は必要に応じて使い分けますが、それほど厳密な区別はしていません。

「短いブログ」としてのTwitter

特にTwitterの登場からしばらくは、その紹介に「短いブログ」という表現が使われることがありました。以下のWikipediaのページでも「ミニブログ」「マイクロブログ」という名称への言及があります。ただあくまでもそのように捉えられることがあったというだけで、「Twitterはかつて短いブログだった」と考えているわけではありません。

ja.wikipedia.org

これは、1つの投稿に140字までというかなり思い切った分量の制限があったことや、新しいサービス・ツールの紹介として既存のメディアを引き合いに出したというようなことが事情としてはありそうです。当時はこの文字数制限がもっとインパクトを持って受けとめられていたように記憶しています。

一方でTwitterの分析としては、フォローやリプライ、リツイートといったソーシャル的な側面やリアルタイム性にフォーカスされることが多いように見えます(もちろん個別には1つの投稿の短さに着目した研究も多くあります)。

ちなみに自然言語処理の研究では「マイクロブログ」が定着した表現になっているようなので、私の授業や卒論ゼミでもTwitterに関する文献を検索するときは「マイクロブログ」で探すというやり方も紹介します。

TwitterそのものもAPIもあんな感じ(X)になっちゃってるので今後研究がどれくらい進められるのかかなり不透明ですけどね…実際さいきん卒論の研究対象としてはあまりすすめていません。研究対象の変更を検討しているゼミ生もいます。

「バズる」ことによる評価

さいきんのSNSにおいて、「バズる」、もう少し具体的に表現すると「短い時間で多くのユーザーに届くこと」が良い評価につながりやすい(それがたとえ個別には悪い評価を含んでいたとしても)ということは多くの人が体感していることでしょう。何らかの形で収入を得るならもう必須条件のようなものでしょうし、何かを知ってもらいたい、書いたものを読んでもらいたいというような場合でも重要な要素であるという実感があります。

この流れを作ったものの1つとして、Twitterが持つ投稿のしやすさ/気軽さという特徴と、フォロー関係やリツイートといったソーシャル面での機能があるのは確実であるように思います。ただ、SNSのこの傾向についてはFacebookやYouTube、Instagramなどの存在も重要なのでTwitterが牽引したとまで言えるかどうかは私には分かりません。

「長いTwitter」化したブログ?

さてここでようやくブログの話です。

私はこのブログではてなダイアリーだった2006からいろいろ書いていますけれども、上で書いたような評価の傾向がSNSに定着してからは、特にブログでも「最初にある程度の人に読まれないとその後その記事は読まれない」傾向がさらに加速したという体感が強くあります。Twitterが定着する前もはてなブックマークがどれくらい早く3, 5, 10付くかによるみたいなことはあったのですけれど、ここまでではなかったような。

後で読まれる記事もあるのですけれど、それはやはりTwitterとかYouTubeなどで紹介されたからということがほとんどですね。

もちろんこれはブログに何を書いているかによるでしょうし、更新頻度や書き手の知名度等によっても違うでしょう。webの有り様もTwitterの定着前と今とではサービス・ツールの分布がかなり違いますし(noteの存在とか)単純に比較はできないのかもしれませんが。

ざっくり言うと、バズらなきゃいけない(少なくともバズった方が良い)評価方法にブログも乗せられていることによって、ブログが「長くも書けるTwitter」でしかなくなってしまっているんじゃないかなという気がするんですよね。

それでTwitterの登場時のことを思い返すと(Twitterは確か2007年から使っています)、「短いブログ」として位置付けられることもあったTwitterがその存在感を増すことによって先達であったブログを「長いTwitter」にしてしまった、みたいな流れが考えられるんじゃないかと。ちょっと単純化しすぎですかね。そしてTwitterがXになって仮にブログとかも巻き込んで衰退するようなことがあったらお前は何だったんだという気持ちになってしまいそうです。ネオエクスデスか。

ただ、こうやってちょっと逆転現象のような形でまとめると不思議な感じもしますが、今のSNSをはじめとしたwebを見ていると別にTwitterのようなものが出てこなくてもそのうちそうなっちゃっていたのかもしれません。

ブログ(長いテキスト)の評価法

長く書けるテキストであるからこその利点もあるとは言え、「バズる」という点においては、ブログはそもそも短いテキストや画像、動画などに比べて不利なように感じます。そう考えると、ブログにこそ何か新しい評価方が必要なのではないでしょうか。

これは実はブログに限らずwebメディアのような比較的長いテキストを提供するサービスやメディアに共通する問題ではないかと考えています。収益という関して言えば、たとえばnoteは講読機能によってその辺はある程度クリアできているんですかね。noteは「ブログとは違う」点を明確にしている点で自らの位置付け方もうまいなと思います。

dlit.hatenadiary.com

もちろん今でもいろいろな試みがあるというのも体験していて、たとえば何回かTwitterのはてなブログのアカウントに書いたもの(はてなブックマークが付いてないもの)を注目の記事として拾ってもらったことがあります。これは書き手としてはすごく嬉しいことでしたけど、残念ながらそこから読みに来てくれる人はそれほど多くなかったり。

これ、実は読み手としての心配の方が大きいんですよね。ただでさえTwitterの定着によってブログでまとまったものを書かなくなった人もけっこういたのに、たとえばXに見切りを付けてそういう人たちがブログに戻ってきてもブログそのものが書き手としてやりづらいものになってしまっていたとしたら。あるいはブログサービスそのものがそもそも不利なバズり勝負をメインにし続けた結果立ちゆかなくなって多くのテキスト、記事が読めなくなってしまったら。アーカイブ化はまた別にどこかで考えなければならない問題でしょうけれど、今はもう少し可能性があっていてほしいなと思います。

おわりに

長い文章に文句が付くというのはここさいきんに限った話ではなく、今の「ネット」がある程度定着してた頃からあったように思いますが、私は知らない話題や理解が難しい話ほど長く書かれてる方がありがたいんですよ。その方が理解につながるきっかけ、手がかりが増えることが少なくないですからね。もちろん、長い文章というのは書くのが難しいし大変ですので多くの人におすすめできることではないのですけれど。

関連記事 dlit.hatenadiary.com

過去にはてなブログにcodocを導入した人たちの記事(一部)

ちなみに私もそのうちの1人です。

dlit.hatenadiary.com

はてなブログの機能として正式に採用されたということで使い勝手良さそうですしここも移行しようかなと考えていますが、

blog.hatenablog.com

(はてな)ブログの記事を有料化するということについては以前codocを導入したときに読んだAQMさんの記事が印象に残っていて、これを機会にもう一度記録しておこうと思ってこの記事を書きました。私の観測範囲ではこの記事への言及が見られなかったので残念に思ったということもあります。

aqm.hatenablog.jp

noteからはてなブログへの移行については私もAQMさんも言及しているオオスキトモコさんの記事も参考になるかもしれません。

petitmatch.hatenablog.com

ブログであっても結局そのときとのとき話題になった記事が言及されるくらいで過去の記事というのはなかなか参照されないというのが自分の実感なのですが、むかしの記事を読む(読み返す)のもなかなかおもしろいですよ。